夢を旅する少年の話。

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少年は大いなる魂に到達し、それが神の一部であることを知った。そして、神の魂はまた彼自身の魂であることを悟った。そして、1人の少年が、彼自身が、奇跡を起こすことができると、知ったのだった。
 
 
19歳になりました。
この一年間は、愛を見つけ、自然な自分に還っていく旅路でした。
 

 

 
本当は誕生日当日に投稿して次の日からエネルギー全開でいこうと思っていたのですが、思うように自分と対話できず断念。
すごいモヤモヤしたまま時間だけが過ぎていって、よりによってなんで誕生日に…って嘆いて1日が終わりました。笑
 
でもそれから自分と対話していったら、そのモヤモヤがまさに今自分が変わろうとしているのを伝えてくれていたことに気がつきました。
 
 
小さな自分から、大きな自分へ。
 
僕はまだまだ結果や成果を出すことに執着していて、何でも思い通りにこなそうとしてしまいます。
 
何をするにも、自分のイメージ通りにしたい。
いつまでに何をどうやって、どう成長するか。一つ一つの行動や人との会話にも自分なりの意味や目的を見出して、何かしらの学びや成果を得ようとする。
何の成果も見込めないことはしたくない。
 
だからちょっとでも自分のイメージ通りにいかないと、焦ったり、不安になったり、悔やんだり、自分を責めたり。
もちろんこうやっていれば成長するだろうけど、いったいどこに向かってるんだろう。
そうやって走り続けた先に、何が待ってるんだろう。
 
本当は逃げてるだけなんだ。
自分で自分の存在価値を信じてあげられないから、成果を出すことで効力感を得て、自分が生きる意味を一時的に見出してるだけ。
そうやって結果や成果に頼って努力し続ければ、自分自身の力で自分を受け入れずに済むから。
そうやって、自分と向き合うことから逃げてるだけ。
 
恐いんだ。
結果への執着を手放して効力感を得られなくなったら、自分の存在価値を信じられなくなるんじゃないかって。
自分自身で、自分はここにいていいって認めてあげる自信がないんだ。
だって、自分は不十分な存在だから。
自分は欠けてるし、足りないから。
 
 
でもそう思い込んでたら、いくら願ったって自由にはなれない。
本当の意味で満たされることもないし、人を愛することもできない。
そんな生き方はすごく悲しいし、虚しい。
 
それをわかっていても慣れた生き方を手放せないのは、変わる勇気を出せないでいるから。
いつか自由になれる、いつか自分を愛せるって夢見ていれば、それに近づき続けることで生きる意味を見いだせるから。
だから夢を叶えてしまったら、どうやって生きていけばいいのかわからないんだ。
生きる意味がなくなってしまうんじゃないかって恐れてるんだ。
だから、ある程度満足できる今の生き方に甘んじてる。そっちのほうが安全だから。
 
でも本当は、自分の力で自分を愛せるようになりたい。何にも縛られず、どんなときも自分の意志に従って自由に生きたい。
 
そして僕は、自分の存在価値を手放してただただ自分の使命を果たそうとするとき、人を愛し、貢献しようとするとき、自分の可能性が最大限に発揮されることも知っている。
成果や結果にこだわっているときとは比べ物にならないほどの力とエネルギーが沸き起こることも知っている。
そしてそんなとき、喜びで魂が震えることを知っている。
 
 
小さな自分から、大きな自分へ。
そんな変化のプロセスに自分が立っていることを、僕の気持ちが、モヤモヤが教えてくれた。
感情は、自分が必要なことにつながれているかどうかを教えてくれるメッセージなんだ。
 
それは新しい自分になるというより、社会に適応する中で身についてしまった癖、自分を否定することを手放して、人が本来の姿に、自然な、愛に満ちた自分に還っていくプロセスなんだと思う。
 
 
僕は、小さな自分の存在価値を手放して、ただただ自分の使命に奉仕したい。
 
知識も、経験も、能力も、特性も、自分のギフトはすべて与えられたものだから、それをただただ還元していきたい。感謝とともに。
そこにはもう、自分はない。
そこには、喜びだけがある。
 
僕は何にも縛られず、自分が本当に望むことのために、運命を実現するために生きたい。
それは、人や社会の変化を促すこと。
僕は愛によって変化を生み出す、アルケミストになりたい。
 
 
お前が誰であろうと、何をしていようと、お前が何かを本当にやりたいと思うときは、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。それが地球におけるお前の使命なのだよ。
 
お前が何かを望むときには、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ。
 
 
すべてのいのちを創り出して、今日も生かし続けている大いなる何かが、この世界にはある。それは神様かもしれないし、宇宙の魂かもしれない。
何だっていいけど、僕はその大いなる意志がこの地球に起こしたい変化を生み出すための種になりたい。
小さな僕が何をどうこうするのではなく、僕を通じて大いなる力が働く。
僕が心の声に従って本当に望むことのために動いていれば、大いなる魂とシンクロして、必要なことが必要なときにやってくると思う。
 
だから僕は自分の力で自分を信じて、何かを無理やり思い通りにしようとせずに、自然の流れに身を委ねながら全力で使命を果たし続けたい。
それが、僕の生きる意味になるから。
 
 
僕は今まさに、自分の本当の願い、何ものにも縛られず、自分の意志で自由に生きたいという願いを実現しようとしてる。
 
これは、どんなときも自分の心とつながって、本当の自分として生きることへの挑戦なんだ。
 
恐い。
でも変わりたい。
そうやって一生懸命いのちを輝かせようとしてる自分に気づけたとき、自分と向き合う勇気が芽生えた。
 
僕は何のために生まれてきたんだろう。
その答えを外側の世界で探し続けても、見つからなかった。
でも、自分の内側の世界に目を向けたとき、答えはあった。
 
それは愛だった。
 
僕は、愛するために生まれてきたんだ。
自分を、人を、すべてのいのちを。
でも、ずっと自分のことを愛せなかった。
結果や成果がなきゃ、自分を受け入れられなかった。
そんな自分が嫌で、今度は結果も成果もない自分を愛さなきゃ愛さなきゃって言い聞かせてた。
だけど、それは勘違いだった。
僕は、何もしない自分を受け入れることが愛だと思ってた。
だから成長しようとするのは、今の自分を受け入れてないからいけないことだって思ってた。自分の中に沸き起こるエネルギーを、そうやって押し殺してた。
でも、それは違った。
どんな自分も受け入れるのが、愛なんだ。
そのうえで、自分が本当に望む行動を生み出すのが愛なんだ。
執着を手放して、現実の自分を受け入れることが愛なんじゃない。
執着してる自分すら、そのまま受け入れるのが愛なんだ。
だから僕は、結果や成果がなきゃ自分を愛せない自分を、愛する。
でも、たとえそれがなくても、自分はここにいていい。自分だけは、自分の存在価値を信じてるから。
だから安心して、心が望むことを思いっきりやっていけばいいんだ。
すべてのいのちを愛していけばいいんだ。
もしまた執着してしまっても、それでいい。小さな自分だっていい。それも自分なんだから。
だから、もう恐くない。
どんな自分であってもいいんだ。
 
本当の愛は、そんな力を生み出してくれた。
 
結果や成果に執着して、変化を恐れてる自分自身も、こんな自分は嫌だから変わりたいって否定するんじゃなくて、愛すること。
そのうえで、それでも変わりたいって本気で願ったとき、恐れを手放して勇気を振り絞ったとき、変化は起きた。
 
 
僕の中で分断されていた思考と心が、統合されていく。
自分にないものを求めて動くのではなく、自分にあるものにつながって動く。
そんな行動の起点のシフトが起きてる。
どうやったら自分の価値を感じられるかじゃない。
どうやったらいのちが喜ぶか。
すると、今まで一本しかなかった道が、無限大に広がっていく。
そこに、「こうするべき」とか「こうしなきゃ」はない。
ただただ、自分の望む道を歩んでいく。
愛するという使命を果たしていく。
 
きっとこの繰り返しなんだと思う。
小さな自分になったり、大きな自分になったり。小さな自分がいるからこそ、大きな自分にもなれるし、大きな自分がいるからこそ、小さな自分も大切にできる。
 
今までずっと、ひたすら自分と向き合った先にはゴールがあると思ってた。
でもそんなものはなくて、死ぬまで自分と対話し続けるんだと思う。
そうすることで、どんなときも自分が本当に望む行動をとっていくことができるんだ。
その結果、自分の望む未来がやってくるんだ。
 
あとはもう、前兆に従っていくだけ。
 
よりによって誕生日にモヤモヤが発生したのも、変化するための前兆だった。
 
自分の心とつながっていれば、必要なことは必要なときに起こるんだ。
 
だから僕は、今を楽しむ。
人生はパーティであって、踊りであって、遊びだから。
 
 
誕生日を迎えて、また一年、死に近づいた。
僕が生かされているということは、果たすべき使命があるということ。
すべては一つなんだ。
マクトゥーブ。